たまひよ

鹿児島県に住む山元理英さんは、小学6年生の長女、1年生の二女の2人を育てる母です。二女の暦(こよみ)ちゃんは、出産予定日より4カ月早く、体重520gで生まれた超低出生体重児でした。理英さんに、暦ちゃんの出産のときのことについて話を聞きます。全2回のインタビューの前編です。


子宮頸管無力症と診断。第2子との別れの後に授かった命



5年の交際を経て2012年に結婚した理英さんと夫の啓資さん。理英さんはコンビニエンスストアの店長として働き、啓資さんも別の店舗の副店長だったことから、結婚を機に夫婦でコンビニ経営を始めました。そして結婚から約2年後の2014年、理英さんは第1子の女の子を出産しました。

「当時は通勤ラッシュの電車で出勤し、12時間立ちっぱなしで働いて、重い物を運ぶことも多い仕事でした。無理があったのかもしれません、妊娠7カ月で子宮頸管が短くなってしまい、1カ月入院して絶対安静に。

その後一度は退院しましたが、妊娠10カ月に入る直前の妊婦健診で子宮口が3cmほど開いているとわかり、再入院に。そのとき血圧が200を越えてしまったため、入院翌日に帝王切開することになり、36週6日で2444gの女の子を出産しました」(理英さん)

出産時は大変な状況でしたが、生まれた赤ちゃんはすくすくと元気に育ちました。夫婦でもう1人子どもが欲しいと考え、理英さんは長女の出産から4年後の2018年に妊娠します。しかし、妊娠がわかったときの妊婦健診で「子宮頸管無力症(しきゅうけいかんむりょくしょう)※」と診断されました。子宮頸管が開いてしまわないように糸で縛って補強するシロッカー手術をしましたが、残念ながら妊娠21週6日で赤ちゃんを流産してしまいます。

「22週未満で生まれた赤ちゃんは、心肺蘇生などの処置を受けられないことを知っていたので、生まれないように必死に我慢しようと思っていました。あと6時間耐えれば22週になる、というタイミングでしたが、破水もして陣痛も来てしまい、どうにもできませんでした。体重470gという小ささで、するりと生まれてきたのは男の子でした。

泣き声はありませんでしたが、生まれたときは動いていたんです。『動いてるね』『あたたかいね』と話しかけながら、胸の上のわが子が冷たくなるのを待つしかない時間は、とてもつらかったです。長男は戸籍には載りませんが、火葬をして小さなお骨になり、今も自宅で一緒に過ごしています」(理英さん)

つらい別れの半年後、理英さんは再び小さな命を授かります。

「長女にきょうだいをつくってあげたいという思いはありましたが、思いがけず早い時期に再び妊娠していることがわかりました。
ただ、長男のときのこともあるので、妊娠がわかった時点で医師から『今回もシロッカー手術は必要になります』と言われました。長女を出産した病院で紹介状を書いてもらい、大学病院を受診して子宮頸管を縛る手術を受けました。当初、おなかの赤ちゃんは男の子だろう、と言われていて、『長男の生まれかわりかな、大事に育てないと』と考えていました」(理英さん)

※子宮頸管無力症と診断された、または強く疑われた場合、次の妊娠でもリスクがあります。ただし、次回妊娠で再び子宮頸管無力症と診断されるとは限りません。


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