たまひよ

天野そうすけくん(6歳・小学校1年生)は、生後2カ月のとき、呼吸中枢の信号が生まれつき弱いため、睡眠時は無呼吸になり、起きているときは呼吸をしなくても本人は苦しいと感じない難病、先天性中枢性低換気症候群(せんてんせいちゅうすうせいていかんきしょうこうぐん・CCHS)と診断されました。
両親の雄士郎さん・千枝さんに聞く全2回のインタビューの後編は、家庭でそうすけくんの医療的ケアが始まってからのことについてです。


待ち望んだ親子3人の生活がスタート!1階は医療機器でいっぱいに・・・



――そうすけくんが退院したのはいつですか。

雄士郎さん(以下、敬称略) 2020年4月末、そうすけが生後8カ月のとき退院しました。同時に在宅での医療的ケア(以下、医ケア)が始まりました。
人工呼吸器、酸素濃縮器、たん吸引器、体内の酸素濃度を測るパルスオキシメーターの取り付けや使用、経管栄養など、病院では看護師さんたちがしてくれたことを、退院後は全部自分たちだけでやらなければいけなくなります。いきなり退院してそれらを毎日行うのはハードルが高いので、退院前に小児科病棟で付き添い入院をしたり、外泊を使い妻の実家で練習したりしました。

千枝さん(以下、敬称略)そうすけが初めて病院の外に出たのは4月の始めです。この日は日帰りで、私の実家に連れて帰りました。4月中旬には実家で2泊を経験し、その後4月末に完全に退院しました。
退院後1カ月間は、何かあったらすぐに入院していた病院に行けるよう私の実家で過ごしました。両親や訪問看護師さんの手も借りつつ、そうすけのケアや生活のリズムをつかんだところで、アパートに帰りました。

雄士郎 妻は出産してから毎日面会へ行くため、実家で生活していました。僕はアパートで1人暮らし、週末は車で1時間以上かけ、そうすけの元に通う日々です。
生後9か月目にしてやっと家族3人でアパート暮らしができる準備が整いました。妻の実家へ2人を迎えに行き、帰りの車内には妻とそうすけも乗っている。バックミラーを何度も確認して喜びをかみしめていました。

――そうすけくんが自宅に戻ってからの生活はいかがでしたか。

千枝 当時はメゾネットタイプの狭いアパートに住んでいたので、1階はそうすけの医療機器とベビーベッドでいっぱいになりました。そうなると、リビングは大人1人分しか寝るスペースがありません。もう1人は2階で寝ることにして、交代でそうすけのお世話をしました。

雄士郎 そうすけは寝相が悪く、しょっちゅう人工呼吸器がはずれていました。はずれると人工呼吸器から大きなアラーム音が鳴ります。日中はともかく、夜中のアラーム音は心臓に悪く、飛び起きてつけ直していました。

千枝 在宅ケアが始まり、主人も私もまとまって睡眠をとることは難しいと思っていましたが、今となっては「そうすけと寝る=呼吸器の音」が当たり前なので、この音がないと落ち着いて眠れないくらいになっています。

――自分たちで医ケアをすることへの不安はありましたか。

千枝 そうすけに必要な医ケアについては、入院中にていねいに教えてもらい、退院に向けてしっかり準備しました。そのおかげで、退院時には「やるしかないんだ」と腹をくくることができました。不安はもちろんありましたが、家族3人で暮らせる喜びのほうが大きかったです。

とはいえ、ヒヤヒヤしたこともたくさんありました。赤ちゃんは泣くのが仕事。呼吸を止めても苦しくないCCHSの子は、「泣き入りひきつけ」を頻繁に起こします。そのせいで、そうすけは低月齢のころ1日に何度も失神し、そのたびに「そうすけ~、起きて~」とやさしく声かけをしたり、酸素流量を上げたりして対応していました。だから、できる限り泣かせないように注意して育ててきたんです。ひきつけを起こさなくなった今でも、顔色(チアノーゼ)の確認や、ささいな変化を気にして接しています。


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