たまひよ

永野蒼(あおい)くん(6歳)が遺伝性疾患のX連鎖性遺伝性水頭症と診断されたのは生後6カ月のとき。
蒼くんの病気のことで悩み苦しんだという母親の夏帆さんは、蒼くんの成長を実感できた3歳ごろ、ようやく家族の未来を前向きに考えられるようになったと言います。
夏帆さんに聞いた全2回のインタビューの後編は、夏帆さん夫婦が目指す家族のあり方や、これからのことなどについてです。


生後6カ月で遺伝子検査を受け、X連鎖性遺伝性水頭症と確定診断



蒼くんが生後6カ月のとき、夏帆さんと孝幸さんは、遺伝子検査を受けることを決めました。

「生後6カ月は障害者の申請をする時期だったので、このタイミングに合わせて確定診断も受けようと、夫婦で話し合いました。

四国こどもとおとなの医療センターの遺伝医療センターを受診し、私と息子の血液を、遺伝子検査ができる大阪の病院に送りました。検査結果について2カ月後に説明を受け、X連鎖性遺伝性水頭症と確定診断されました。

蒼の水頭症は、私の遺伝子に関係する遺伝性の水頭症だったんです。
私の親族にこの病気の人がいると聞いたことはありません。考えてもしかたがないことだけれど、なぜ私の遺伝子だけが?と、理不尽さを感じずにはいられませんでした」(夏帆さん)

蒼くんは障害者1級(最重度)の認定を受けました。

「生後6カ月ごろは首がすわっていなくて、おすわりやうつぶせにすることも難しかったです。首は3歳ごろまですわらず、それまでは低月齢の赤ちゃんのような横抱きしかできませんでした。3歳ごろの蒼の体重は10kgくらいあったので、横抱きでのお世話は重くて、私も夫も腕が腱鞘炎(けんしょうえん)になりそうでした。
食事は3歳過ぎまで離乳後期食の内容で、今でも軟飯、きざみ食、ひと口サイズに切るなどの配慮が必要です。

蒼の障害が重いことを日々感じていたので、1歳の誕生日を迎えたときは、いつかこの子は私の目の前からいなくなってしまうのではないかと、喜びより不安と恐怖のほうが大きいくらいでした」(夏帆さん)


子どもに障害があっても仕事は辞めたくない。その思いで役所に通い詰める



夏帆さんは育休後、仕事に復帰するつもりだったので、蒼くんを10カ月から保育園の0歳児クラスに預けたいと考えていました。

「妊娠中から蒼に病気があることがわかっていたから、私たち家族の姿をいろいろと想像し、どんな形になるにしろ、『仕事は続ける』と決めていました。夫婦ともに仕事を続けて支え合っていきたいと、結婚前から夫に話していたので、たとえ子どもに障害があっても、それは守りたかったんです。夫も理解してくれました。

保育園に入れることで、感染症の心配は増えますが、蒼にも社会を知ってほしい、家の中ではできないことをたくさん経験してほしい。そんな思いもありました。そして家族それぞれが社会生活を送り、1日が終わったら家に帰ってくる、そんな環境をつくりたい。この夢を実現するために、蒼を保育園に入ることを夫婦で決めました」(夏帆さん)

しかし、「保育園探しは予想以上に困難だった」と夏帆さんは話します。

「蒼の医療的ケアは、必要なときだけたんの吸引をすることと、毎日の排せつの管理だけなのですが、障害児を受け入れてくれる保育園を探すのは、覚悟していた以上に大変でした。蒼が通えるデイサービスや保育園を探すために、市役所に通い詰めました。

2021年に『医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律』が成立し、状況が変わって来たようですが、障害のある子どもを育児中の親が、育休が終わるタイミングで子どもを保育園に預けて仕事に復帰できるケースは、今でもそう多くはないようです。
子どもに障害があっても、両親が自分たちの思い描く人生を歩めるような社会になってほしい。そう強く願っています」(夏帆さん)


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