
2020年に落語家の立川談洲(たてかわだんす)さんと結婚し、2023年6月に第1子となる女の子を出産した、相席スタートの山﨑ケイさん。芸人と落語家という、不規則を仕事をする夫婦同士で協力し合いながら、子育てしています。今回は、40代目前で挑戦した不妊治療のこと、夫婦で悩み抜いたという出生前検査、そして、これからどんな子育てをしていきたいかを聞きました。
全2回インタビューの後編です。
不妊治療がうまくいかず、「私には子どもをもつ選択肢すらなかったの?」と絶望も

――不妊治療をされていたそうですね。
山﨑さん(以下敬称略) 39歳で不妊治療を始めて、1年半ぐらい不妊治療をして授かることができました。
結婚したのが38歳だったので、その時点で夫に、「子どもはできるかどうかわからないよ」と伝えていました。でも実は、心の中ではどこかで「きっとできるだろう」と思っていたんです。
結婚後は、2人の生活がとても楽しかったし、なんとなく、そこには触れないでいました。ただある日、夫のほうから、「子どもって、どうしようと思ってる?」と切り出してくれたんです。それで私も、「そうだよね、考えないとだよね」という感じになり、まずは妊娠・結婚に向けた健康チェックだけやってみようと病院へ行きました。
検査の結果は、「年相応ですよ」とのこと。「問題はないけれど、もし子どもを望むなら、今すぐじゃないと厳しいですよ」とも言われました。
まずはタイミング法を試してみたんですが、それでは妊娠しませんでした。それで、次のステップは人工授精になるのですが、仲よくさせてもらっている先輩ママ芸人に相談したら、「人工授精は飛ばしてもいいかもよ」と。その先輩も同じような経験をしているので、的確なアドバイスでした。
先生に、「人工授精を飛ばして、体外受精に挑戦してみてもいいかなと思っていて」と相談したら、「うん、そうしましょう!あなたの年齢ならそのほうがいい」とのことで。「じゃあ、そうします」とあっさり受け入れられて、まったく抵抗感はありませんでした。
夫にも検査をしてもらいましたけど、「そういう検査、嫌じゃないの?」と聞いてみたら、「1ミリも嫌じゃないし、何が嫌かわからない」と言ってくれたんです。その言葉はうれしかったです。
――不妊治療中は、仕事との両立はどうしていましたか?
山﨑 治療のために仕事を休んだのは、1日だけでした。採卵の日でどうしてもこの日じゃないとダメということで、相方に説明をしたら、「ケイさんの好きなようにやってください」と言ってくれて。「僕はそういうときに舞台に立てるように、1人のネタも作っているので」と。相方、男気あるヤツなんで(笑)。さらにマネージャーも、「協力します!」と言ってくれて。相方とマネージャー、そして病院の先生に恵まれて、スケジュールはなんとかうまくできました。
ただ、1回目の採卵は全滅。そのときが一番きつかったですね。タイミング法をやめて体外受精にしたら、すぐにできるものと思っていたので。「え、すぐできるどころか、卵子も採れないの?」と落ち込みました。そのときにふと、これから先は子どものいない人生なのかもしれないと思いました。それまで、口では「子どもはいなくてもいいよね。2人で楽しいからいいよね」と言ってはいたけれど、子どもがいない人生を自ら選んだんじゃなくて、私には子どもを作る選択肢すらなかったのかと感じ、絶望してしまいました。
そういう人生なのかもしれないと思ったら、今までの考え方が180度変わるぐらい、こんなに子どもが欲しかったんだとあらためて感じたんです。そんな中で、同じ歳の友だちが自然妊娠して、ますます落ち込みました。このころは、「この気持ちをどうやって切り替えて生きていったらいいんだろう」と考えていました。
2回目の採卵は、採れたたことは採れましたが、数がものすごく少なくて、受精卵にできましたが質もあまりよくなく、子宮に戻しましたが着床しませんでした。そして3回目はちょっとだけ採ることができて、そこでなんとか妊娠することができたんです。すごくラッキーだったと思います。
当時は、実るかわからないことに時間とお金を使って、まわりに迷惑もかけて、「なんなのだろう。このお金って、この時間って」と思っていました。
――そんなとき、談洲さんの声かけはありましたか?
山﨑 声かけはなかったです。寄り添うしかないという感じでした。男の人は、寄り添うしかないんだろうなと思います。あとは、月並みですけど、「2人でも幸せだよ」と言い続けることしかできないのかもしれないですね。
ただ、治療に関しては、「今日は何をしたの?」とか「どれぐらい痛いのかな?」とか、こまかく聞いてほしかったなと思います。聞きにくいというのはあるんでしょうけど、私としては、もう少し興味を持って聞いてほしかったんです。自分からはなるべく説明するようにはしていましたけど。