たまひよ

2021年に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの元秘書・瀬尾まなほさん(37歳)。寂聴さんの亡きあと、講演や執筆活動を通して、寂聴さんの小説や人柄を伝えています。今夏、寂聴さんが亡くなってから初のエッセイを出版しました。5歳と3歳の男の子の母でもある瀬尾さんに、寂聴さんからの教えや、妊娠中に感じた葛藤などについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。


「寂聴先生とは前世で姉妹だったと言われるほど」、深い絆を感じた



――瀬尾さんは学生時代の就職活動で寂聴さんの面接を受けたそうです。当時を振り返り、寂聴さんとの出会いをどう感じますか?

瀬尾さん(以下敬称略) 私自身のやりたいこともはっきりしていなくて、さらに当時は就職氷河期だったこともあり、面接を受けても断られることが続いていました。そんなとき、祇園のお茶屋さんでアルバイトをしていた友人の紹介で寂聴先生の面接を受け、運よく事務職の仕事をさせてもらえることになりました。

もし就職活動が順調に進んでいたら、先生のもとで働くことはなかったでしょうし、友人も私を紹介しようと思わなかったと思います。そして先生が私を受け入れてくれ、最終的に先生の最後までずっと一緒に過ごすことができました。本当に「縁」だったんだなと感じています。今振り返っても、人生が大きく変わった、本当に本当に大きな出来事でした。

――瀬尾さんの新刊『寂聴先生が残してくれたもの』を読みました。もし前世があるなら寂聴さんと瀬尾さんは夫婦だったのでは、と思うほど深い絆を感じました。

瀬尾 スピリチュアルなことに考え方はいろいろあるとは思いますが、実は以前に、前世が見える方に見てもらったことがあるんです。その方いわく、先生と私は前世、アフリカなどのあたたかい国で姉妹だったと言われました。何事も2人で分け合っていたそうです。今世ではそれが当たり前ではなく分け合うときにも考えるように、立場を変えて生まれてきたのだ、ということでした。不思議ですよね。

――秘書として働き始めてまもなく2011年の3月、東日本大震災が起こり、寂聴さんは被災地の支援活動を精力的に行っていたそうです。瀬尾さんは寂聴さんの姿をどのように見ていましたか?

瀬尾 寂聴先生は災害が起こったときにはすぐに被災地へ行き、被災された方々に寄り添ってきました。まず何よりも「行動」の人なんです。戦争や原発などの問題も自らの意思をもって発言し、デモや集会に参加していました。
社会問題に対して何かを訴えたり、行動するといったことは私の中では思いつかず、経験もありませんでした。「おかしいのではないか」と思うことに、90歳を超えた人が声を上げて訴える、その姿に大きな影響を受けました。
先生はだれかに頼まれたからでもなく、どこにも所属せず、1人で活動してきました。

先生がたくさんの人の前でスピーチしている姿を舞台袖から見ていると、涙が出そうになります。先生がまぶしくて、自分が小さく見えて何もしていない自分を恥じていたのです。でも、先生は私に「こうしなさい」「ああしなさい」と強制することはなく、何もしない人を批判することもありませんでした。自分自身の生きる姿勢で見せる、先生のそういうところもすごくすてきだなと思っています。


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