
元AKB48の浦野一美さんは、37歳で結婚し、38歳で第1子を妊娠。産前はマタニティブルーに悩み、産後は「直腸腟(ちつ)ろう」という1万人に1人の割合といわれている、珍しい出産後遺症を患いました。マタニティブルーの正体は何だったのか。直腸腟ろうの症状はどのようなものなのか。「イメージと違った」という妊娠・出産、産後の話を浦野さんに聞きました。全2回のインタビューの前編です。
第1子の妊娠・出産は想定外の連続だった

――浦野さんは、第1子妊娠中、マタニティブルーに悩まれたそうですね。そのときの状況や妊娠経過をお聞かせください。
浦野さん(以下敬称略) 体調は良好でトラブルはありませんでしたが、今思えば、マタニティブルーでした。望んでいたとはいえ、いざ妊娠すると、「楽しみ」より「怖い」という感情が強くなったんです。具体的には、「私には母性がない。育児ができるだろうか?」という不安がありました。不安の要因は、私が1人っ子だったことと、アイドルという仕事柄、身近で出産した人が少なく、小さな子どもと関わる機会もほとんどなかったことだと思います。
――悩みをだれかに相談しましたか?
浦野 はい。たとえば、妊娠中のメンタルヘルスのアンケートに「子どもが生まれるのが楽しみですか?」などの質問がありましたが、私は「×」だらけの回答でした。すると、すぐに役所の保健師さんから連絡がきて、定期的に電話で話すなどのサポートが始まりました。ありがたいと思うとともに、「母性がない要注意妊婦」と認定されたのかなとも思いました。不安な気持ちもなかなか埋まらず…。
ところが、友人のひと言で気持ちが一変。友人に、おなかの赤ちゃんが女の子だと報告すると、「よかったね! ディズニーリゾートでプリンセスの衣装が着せられるじゃん」と言ってくれたんです。ディズニーが大好きな私は、一気に出産が楽しみに。私の好きなことにからめて励ましてくれた友人の気持ちが、とてもうれしかったですね。
――前向きな気持ちで出産に臨めたんですね。出産経過はどうでしたか?
浦野 トラブルの連続でした。無痛分娩を選んだので、陣痛の最初から最後まで痛みをコントロールできると思っていたら、私は麻酔が効きづらい体質なのか、とても痛かったんです。腰椎(ようつい)麻酔のカテーテルを入れ直したり、麻酔を追加したり、逆に麻酔が効きすぎて足が動かなくなったり、最後は陣痛が痛すぎて号泣。会陰(えいん)切開と鉗子(かんし)分娩を経て、陣痛開始から13時間で娘が誕生したときは、赤ちゃんをかわいいと思う余裕もありませんでした。
産後も想定外のことが。娘にミルクアレルギーによる黄疸(おうだん)が出てしまい、生後4日目に大きな病院のNICU(新生児救急治療室)へ搬送されました。娘が保育器に入って救急車で運ばれていくシーンはショックが大きすぎて、涙が止まりませんでした。そして、最大の想定外は、私自身の会陰切開の痛みが産後に強く残ったことでした。