
広島県に住む高井郁恵さんは14歳の長男と7歳の長女を育てる母親です。長女の仁菜(にな)ちゃんは1歳半のころに、4万人に1人の難病と言われる「ドラベ症候群」と診断されました。体温の上昇や光や模様を見ることによってけいれん発作を何度も繰り返す難治性の病気です。郁恵さんに、仁菜ちゃんが発症したときから診断を受けるまでについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。
生後5カ月ごろから、発熱するたびにけいれん発作を起こし・・・

郁恵さんと夫の陽祐さんは、共通の知人たちとのグループで知り合い、郁恵さんが26歳のときに結婚。結婚から3年後に長男が生まれました。
「初めての育児はわからないことだらけでなかなかうまくいかず、お母さんってこんなに大変なんだ、と感じていました。私はアパレルで販売員の仕事をしていたので、1年間の育休をとって仕事復帰。仕事と育児の両立に慣れず、なかなか第2子を考えられませんでした。長男が成長し、自分自身が30代の半ばごろ長男にきょうだいを作ってあげたいなと考え始めたんです。そう思い始めたころ、第2子を妊娠しました。
妊娠経過も順調でしたし、長女の仁菜は生まれてから生後5カ月ごろまでは、いたって健康。成長発達も順調でした。私は2回目の育休だったので、早めに職場復帰したい思いがあり、娘が生後5カ月の春に保育園に入園をして、仕事に戻りました」(郁恵さん)
仁菜ちゃんの健康状態に異変が起き始めたのは、保育園入園後、間もないころだったと言います。
「ある日保育園から職場に『仁菜ちゃんが熱性けいれんを起こし、救急搬送されました』と電話があったんです。ものすごく驚いて、急いで病院へ向かいました。私が病院に到着したときにはもうけいれんは治まっていて、医師からは『初めてだし、おそらく熱性けいれんでしょう』と言われました」(郁恵さん)
ところが、その後1週間おきくらいの頻度で、仁菜ちゃんは発熱するたびに、繰り返しけいれんを起こしました。
「2回目のけいれんも保育園で起きて、3回目は自宅にいた夜のことでした。夜に熱が上がってきて、心配しながら見ていたらけいれんが始まったんです。長男はけいれんを起こしたことがなかったので、私にとって子どものけいれんは初めてのこと。娘の体が硬直して全身がガクガクとふるえ、目は上に向いて、口からは泡をふいていました。これは命が危ないんじゃないか、とかなりあせってパニックに。救急車の呼び方も忘れるくらい頭が真っ白になってしまって『どうしよう!』と、大声で夫を起こしました」(郁恵さん)
長男と夫を自宅に残し、郁恵さんは仁菜ちゃんに付き添って救急車で病院へ向かいました。
「救急車が到着するときには体のガクガクは治まっていましたが、きっと娘の意識は戻っていない状態だったと思います。診察してもらったところ、『二相性脳症(にそうせいのうしょう)』という病気の可能性があるから入院して検査しましょう、とのことで、5日ほど入院して、血液検査や脳波測定、MRI検査をしました。
でも検査結果はどれも異常なし。医師によると熱性けいれんかもしれないし、てんかんかもしれないし、まだはっきりわからないということでした。それで、ダイアップというけいれん止めの座薬をもらって退院。家でけいれんが起こったらその座薬を使って様子を見ることになりました。
ですが、その後も風邪や胃腸炎など毎週のように発熱し、そのたびにけいれん発作を繰り返し、けいれんが20~30分以上止まらなくなることも何度もありました。けいれん発作が5回目に起きたころからは、定期的に通院しててんかん発作を抑える薬を処方してもらうようになりました」(郁恵さん)