たまひよ

「妊娠、おめでとうございます」。産婦人科で言われたこの言葉に、心の底からホッとし、喜びをかみしめ、まだ豆粒大のわが子にやがて会える日を想像して不思議な気持ちになる――妊娠したときのそんな感情が忘れられない女性はたくさんいることでしょう。そんなあたたかく、幸せな言葉を胸に抱いた当日に、がんの告知を受けた女性がいます。棚田奈々江さんは、待ちに待った第2子の妊娠が確定し、母子健康手帳をもらって来たその日に、乳がん検査の結果が悪性と判明。大きな不安の中、妊娠中に抗がん剤治療を受け、無事出産しました。その後も治療を続けながら、2児の母として育児に励んできた棚田さんに、第2子の妊娠のこと、妊娠中のがん治療こと、副作用に苦しみながらの育児のことなどを聞きました。全2回インタビューの2回目です。


「産める確率が0%じゃないなら産みたい」気持ちはもう決まってた



約6年ぶりの妊娠が判明し、第2子を持つことが夢から現実に近づいた妊娠確定の日。そんな喜びあふれる日に、検査結果待ちだった針生検で、乳がんであることが判明した棚田奈々江さん。クリニックの医師や実母は、がん治療を優先してほしいという気持ちから第2子出産に消極的だったと言いますが、奈々江さんには中絶するという選択肢はありませんでした。なんとか赤ちゃんをあきらめなくていい方法はないか、どうやってまわりを説得しようかということばかりを考えていたそうです。

「私の中では、産める確率が0%じゃないなら産みたいという気持ちがもう固まっていて、その気持ちは妊娠がわかったときから夫にも話していたので、子どもをあきらめたくないという私の気持ちに、夫も賛同してくれました。

夫にも反対されていたら、自分だけでまわりを説得するしかありませんでしたが、夫が同じ気持ちでいてくれたことは、ものすごく心強かったですし、ものすごく救われました。そのころはまだ具体的な治療の話もしていなくて、今後どうなるかもわからなかったんですが、治療しながら妊娠を継続していく道を取ることを夫も了承してくれました。

そこからは、妊娠中にがんの治療ができるのか、手術ができるのか、過去にそういう例はあるのかを知りたくて、ネットでいろいろと調べました。すると、30年くらい前に妊娠を継続しながら抗がん剤治療を受けた人の例を見つけて、『30年も前に、同じような人がいたんだ』って、それだけでもすごく希望が持てました」(奈々江さん)

告知を受けたあと、大きな病院を紹介された奈々江さん。本来ならば診察予約は1カ月後になるところ、たまたまキャンセルが出て、告知の1週間後に主治医となる医師と会うことができたそうです。

「そこでは、乳がんのタイプや進行度などのお話のほか、今後の妊娠継続についてもお話ししました。ただ、私の場合、妊娠中ということで、普通だったら行う検査でもできないものがたくさんあり、超音波など妊娠中にもできる検査でわかる範囲の結果でっていう感じでした。

医師によると、乳がんのステージは1もしくは2、過剰に分泌されているとがんが発生しやすくなるという「HER2(ハーツー)」という細胞の増殖に関わるタンパク質が陽性だったので、「HER2陽性乳がん」ということでした。HER2陽性乳がんだと再発しやすいというお話も聞きますが、細胞の分裂の早さは人それぞれらしく、私の場合はそんなに進行度の速いタイプではないという診断でした。

妊娠については、診察のときに『まず、今の妊娠を継続するかどうかを決めなくてはいけない』と言われました。妊娠を継続しないんだったら、中絶をしてから乳がん治療を始めるけれど、妊娠を継続したいということであれば、妊娠15週を過ぎれば全身麻酔をして手術ができるのでまず右胸を全摘して、そのあと抗がん剤治療をします、と。

乳がんの手術には、部分切除と全摘があるんですが、放射線治療ができない妊娠中は全部取るしか選択肢がありません、と言われました。抗がん剤治療については、妊娠中にも使える抗がん剤があるのですが、がんの大きさによって先に抗がん剤治療をしてから手術という人と、私のように手術で取り除いてから抗がん剤治療をする人がいるようです。

妊娠を継続しながらのがん治療のお話をしてもらえたので、私にとっては希望の持てるお話だったんですが、このとき同席していた母は、妊娠15週になるのを待って手術なんかしていたら私が危なくなってしまうのではないか、という気持ちがあったようで、とにかくもう一刻も早く手術をしてもらいたいとあせっていました。

私の中では、妊娠を継続したいという気持ちは決まっていましたが、母の気持ちもあるし、この場で妊娠継続をするかしないかの答えは出せないといったら、主治医が『では1週間以内に考えて返事をください。まあ、がんのほうも、今すぐどうこうっていう感じではないし、妊娠中じゃなくても、手術はみんな1カ月先とかに受けているから、大丈夫だよ』と言ってくれて。その言葉に、母も少し安心できたようでした。

帰宅して、夫や母と話をして、もちろんものすごく心配はしていたとは思いますけど、主治医に今すぐどうこうっていう感じではないと言われたことと、ステージも1か2くらいと言われたことで、母も妊娠継続に納得してくれて。受診から5日後くらいに、妊娠を継続しながら治療を受けるという返事を病院にしました。

主治医からも、乳がん治療をしながらの妊娠継続について「どうにかならなくはないと思っています」という言葉をもらい、私はもう『とにかくおなかの子を守れるんだったらどんな治療でもする、おっぱいが1つなくなったっていい』という思いでしたね。これが妊娠11週のことでした」(奈々江さん)

それから、手術日まで約1カ月半。おなかの赤ちゃんはすくすくと成長し、奈々江さんは妊娠5カ月になっていました。

「手術を受けるころには、おなかもちょっと出てきていて、胎動も感じ始めていたんです。それがもうすごく自分の励みにもなって、おなかの子と一緒に頑張ろうねという感じでした。

当時、保育園の年長さんだった娘には『ママのおっぱいに悪いものができちゃって、取らなくちゃいけないんだ』って話をして、手術のことを伝えました。私の母も胸を全摘していて、その状態を娘も見て知っていたので、『おばあちゃんみたいな胸になるんだよ』って話したので、おっぱいがなくなっちゃうことは娘もすごく悲しんではいましたけど、状況は理解しやすかったかなとは思います。

手術で10日くらい入院したんですが、入院前日には、おままごとで私に料理を作ってくれて『明日から頑張ってね』と言って応援してくれました。それでも内心はすごく寂しがってはいたみたいで、私が入院した初日、娘は泣いてばかりいたそうです。でも、2日目くらいからは『私が泣いていると、パパがすごく悲しそうな顔するから、もう泣かないで頑張る』と言ったらしく、そこからは娘は泣かずに、私の入院期間を頑張って乗り越えてくれました」(奈々江さん)

きっと、10日間もママと離れ離れになるなんて、物心ついてからは初めてのこと。ママのいないさみしさを心から感じたことでしょう。たった5歳の子が、自分もさみしい気持ちがありながら、自分が泣いていると、パパもなんだか悲しそうにしていることに気づき、「私は泣かないでいなきゃ」と思えるなんて、すごくまわりが見えている、しっかりものの娘さんです。

そして、同じ病気で同じくお胸がなくなったけれど、今も元気にしているばあばを見て知っているから、娘さんも「ママもきっと大丈夫!」と思えたのかもしれません。

こうして親子で、奈々江さんの右胸全摘手術を乗りきることができました。しかし、治療はまだ続きます。

「手術の約2カ月後から、妊娠中でも受けられる抗がん剤治療を始めました。3週間に1回のペースで抗がん剤を入れるもので、本来は計4回受けるものらしいのですが、私の場合、出産までにはもうそんなに日がなかったため3回ほど受けて、あとは出産に向けて体調を整えようということになりました。抗がん剤治療は、最初の1回目だけは2泊3日の入院でしたが、2回目・3回目は通院でできました。

心配していた副作用も、妊娠中の抗がん剤治療ではあまりひどくなく、もちろん髪の毛は抜けましたけれど、そのほかには便秘とか倦怠(けんたい)感くらいで済んだので、とても助かりました。

私の場合、1人目も2人目もつわりが長くて、吐いたりはしないものの気持ち悪い状態がずっと続くつわりが妊娠8カ月くらいまであったんです。だから、抗がん剤治療をしているときも、この気持ち悪さはつわりのせいなのか、抗がん剤のせいなのかがわからないという感じでしたね」(奈々江さん)

こうして、右胸の全摘手術、抗がん剤治療と、妊娠中にできる治療を行い、あとは出産を待つだけという状態になった奈々江さん。当初は妊娠37週での計画分娩を予定していたものの、妊娠36週で陣痛が来て、第2子となる長男を2112gで誕生したのです。


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