
長野県伊那市で3人の男の子を育てる高橋由里絵さん。三男の吟糸(ういと)くんは、由里絵さんが妊娠24週4日のとき664gで生まれました。肺低形成、肺高血圧症、慢性肺疾患など、呼吸にかかわるいくつもの病気がある吟糸くんは、2歳を過ぎた今、自宅で人工呼吸器などの医療的ケアを受けながら生活しています。由里絵さんに吟糸くんの入院中の様子や、これまでの成長について聞きました。全2回のインタビューの後編です。
患者家族も赤ちゃんの治療にかかわる

吟糸くんが生まれてすぐから入院した長野県立こども病院のNICUでは、“ファミリーセンタードケア”を治療の一環として取り入れています。“ファミリーセンタードケア”とは、小さく生まれた赤ちゃんの治療やお世話を家族を中心にして医療者がそれらをサポートすることを言います。NICU退院後の成長を応援するためにも、入院中から親子のかかわりを大切にする考え方です。由里絵さんも早期から吟糸くんの医療的ケアにかかわりました。
「小さく生まれて口からミルクを飲むことが難しかった吟糸は、口から胃までのチューブを入れて授乳をしていました。授乳のときには、搾乳した母乳を注入する前に、シリンジを使って胃の内容物を吸引し残留物の確認を行う処置が必要なのですが、私も看護師さんに教わってその処置を行いました。最初は『これって親がやっていいの?』ってちょっとびっくりしましたが、生後4日からそのようなケアにかかわったことで、後に必要になるたんの吸引などの医療的ケアについても、わりとスムーズにできたんじゃないかと思います。私だけではなく、夫も面会の際に同じことをしました。
医療的ケア以外にも何回か家族回診という時間があり、赤ちゃんのベッドサイドで、親と医師と看護師やほかの医療スタッフが意見交換をしたり、治療方針を決める話をしました。その時間があったことで、医師に吟糸の状態について質問しやすくなったと思います。毎日の面会で心が疲れたときには、担当医に話を聞いてもらったこともありました。親も子どもの医療について医師と話し合える関係を築くことの大切さを学びました」(由里絵さん)
NICUは子育ての場所でもあった

由里絵さんは産後1カ月を過ぎてからは、当時4歳と2歳だったお兄ちゃんたちが保育園に行っている日中の時間帯、できるだけ長くNICUの吟糸くんのそばで過ごしました。
「できるだけ面会して吟糸と触れ合うことを大事にしていましたが、どこかで『吟糸の健康状態のことは医師たちに任せるしかない』と思っていました。でもあるとき看護師さんから『モニターだけじゃなく、赤ちゃんの表情を見てあげて』『赤ちゃんにとって、1日1日は違うよ』と教えてもらったんです。たとえば『今日はお母さん、お父さんが来てくれてうれしいな』とか『呼吸がしんどいけど、抱っこしてもらえたからうれしいな』とか感じているよ、と言われたんです。
そうは言われても、本音は『よくわからない・・・』。ですが、できるだけ変化を観察しようと意識すると、しだいに呼吸状態やちょっとした異変に気づけるようになった気がします。それに、吟糸の表情をよく見ながら過ごしたことで、NICUが治療をするつらい場所ではなく、吟糸を育てる場所になっていったと思います」(由里絵さん)
生まれて数カ月で命の危機が何度もあり、つらい日々が続く中でも、吟糸くんのケアにかかわる時間は、由里絵さんにとって上の子たちのときと同じように大事な育児の時間となりました。中でもカンガルーケアは由里絵さんにとって癒やしの時間でした。
「生後41日で初めてカンガルーケアをしました。吟糸には人工呼吸器の挿管チューブが入っているため、医師と看護師2名とでチューブが抜けないようにそーっと、吟糸を保育器から私の胸元へ移動してくれました。それ以来、面会のときは毎回1時間半〜2時間のカンガルーケアをしました。
このときが唯一、肌と肌が触れ合える時間。毎日、自宅から車で往復3時間かかる面会はしんどかったけれど、吟糸とのカンガルーケアの時間を楽しみに通っていました。カンガルーケア中は看護師さんたちに『吟糸くん、表情がいいね』と声をかけられました。数値的にも、酸素飽和度(サチュレーション)などは安定していたと思います」(由里絵さん)