たまひよ

新潟アルビレックスBBの五十嵐圭選手の妻でフリーアナウンサーの本田朋子さん。現在は6歳の男の子と1歳の女の子を群馬県で育てています。不妊治療で授かった2人の子育ての話から、アスリートフードマイスターの資格のこと、五十嵐選手との関係などさまざまな話を聞きました。
全2回インタビューの後編です。


娘の出産は無痛計画分娩を希望したけれど・・・。



――息子さんは不妊治療で自然分娩だったとのことですが、娘さんのときはどうでしたか?

本田さん(以下敬称略) 娘は息子のときに不妊治療をした都内の病院で出産しました。2回目の出産は息子がいたことと、産後の回復のために無痛計画分娩で出産しました。出産直前に麻酔をたしてもらうタイミングでたさずにそのまま出産を試みたところ、自然分娩かのように見事に痛かったです。

――産後の体力の戻りはいかがでしたか?

本田 前半は無痛だったので体力の温存ができました。結果的に体力の復活も早かったです。

――娘さんのときも五十嵐選手は立ち会うことができましたか?

本田 はい、計画出産だったので夫も立ち会うことができました。息子も娘も夫立ち会いのもとで生まれて本当によかったです。


知らない土地はいつしか「心地いい場所」へと変化していく



――結婚後、五十嵐選手の移籍で愛知、新潟、群馬で暮らしてきたかと思いますが、それぞれの土地の印象や、エピソードはありますか?

本田 愛知は名古屋で生活をしました。引っ越す前はまわりから「独特な文化があるよ」と言われていましたが、実際に住んでみて輪の中に入れてもらえるようになると、とても温かくて大事にしてくれました。
その後、新潟や群馬に引っ越しをしても名古屋時代の友人は行く先々に遊びにきてくれました。一生の友だちができました。

――自分の知らない土地での生活を不安に思うことはありませんか?

本田 名古屋から新潟の引っ越しは子どもがいなかったので、そこまで不安には思いませんでした、でも新潟から群馬へ引っ越したときは息子が2歳だったのでこの先の幼稚園や学校のことなど不安でした。やっぱり自分のことよりも子どもの教育環境の悩みはつきないですね。

――不安な新生活の中でどんなふうに気持ちを前向きにもっていきましたか?

本田 新しい土地に行って生活が落ち着くまでの不安は計り知れないものがありますが、「住めば都」という言葉どおりだなって思います。いざ生活をしてみると、いろんな人に出会い、お気に入りのお店やすてきな公園が見つかっていき、少しずつ心地よくなっていきます。そして「なんとかなる」と自分に自信がもてるようになりました。


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