
元フジテレビのアナウンサーで、現在フリーで活躍されている本田朋子さん。プロバスケットボール選手の五十嵐圭さんと2013年に結婚し、チームの移籍とともに、さまざまな土地で生活をしています。現在は群馬県で6歳の男の子と1歳の女の子の子育て中。本田さん自身の子ども時代のエピソードから、五十嵐選手との結婚のきっかけ、第1子出産のことなどを聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
子どものころから好奇心旺盛。歯の矯正も自ら親に懇願!?

――愛媛県松山市出身で3姉妹の末っ子とのことですが、子どものころはどんな子でしたか?
本田さん(以下敬称略) 私は3姉妹の末っ子で、5歳上と8歳上に姉がいます。姉たちとは歳が離れているので結構、自由ほん放に育ちました。両親は共働きだったので、昼間は祖父と祖母と過ごす時間が多かったです。両親が忙しいということもあり、「勉強をしなさい」と言われた記憶がないです。自分の知的好奇心のままに「塾に行きたい」と言ってみたり、「歯の矯正をしたい」と言ってみたり、やりたいことがわき上がってくるような子どもでした。
――歯の矯正も自分からやりたいと思ったということですか?
本田 そうです。好奇心から「歯の矯正がしたい」と両親にお願いしました。もちろん自分の歯並びが気になっていた、ということもあります。とにかくなんでもやってみたいという意欲にあふれた子どもでした。
毎日、両親や祖父母、歳の離れた姉たちの中で育っていたので年齢の割には大人びていたかもしれません。思春期のころも「思い立ったが吉日」みたいな性格だったので、やってみたいと思うことがあれば、自分で調べて行動にうつしていました。
――両親の教育で印象に残っていることはありますか?
本田 母からは「勉強をしなさい」と言われない代わりに、毎朝「ひと口でもいいから朝ごはんを食べなさい」と言われていました。今でも大人になった私に「ちゃんと食べているの?」と聞いたり、一緒に食事をしているときも「これも遠慮しないで食べて」とすすめてきたりします。食事をしっかりとる大切さは母から教わりました。
――お父さんとの会話で印象に残っていることはありますか?
本田 父は「昭和の親父」という感じなのでこまかいことに口出しはしません。でも、私が悩んでいると感じたら一言ズバッとそのとき、心に響く言葉を贈ってくれるタイプです。
プロバスケットボール選手である夫と結婚してから、いろんな転機がありました。夫が名古屋のチームから新潟のチームに移籍するタイミングのときも、「人間万事塞翁が馬」という言葉で背中を押してくれました。これまで仕事で多くのアスリートの方に取材をしてきましたが、自分が当事者になってみると新しい土地で暮らすことに不安がありました。でも、父の言葉どおり、どうなるかはわからないけれど、頑張ろうと前向きな気持ちになれました。
――お父さんも、娘が愛媛から遠く離れた新潟へ引っ越すことを寂しく思っていたかもしれませんね。
本田 私は大学から東京に出てそのまま就職しました。結婚してからは愛知県、新潟県、そして今は群馬県とずっと両親と離れて暮らしています。きっと今でも私のことを心配してくれていると思います。